大阪宗教者九条の会
私たち平和を願う宗教者は、それぞれの宗教の教義・精神に従い、憲法九条を守るという一点で互いの宗教の違いを超えて手を結び、「大阪宗教者九条の会」を設立いたしました。
日本国憲法第九条は、人類が戦火に明け暮れ、多くの犠牲者を出し続けてきた悲しい歴史を繰り返す中で、やっとたどり着いた希望の灯火であり、戦争のない世界をめざす歴史の到達点です。
2004年6月、著名な知識人9氏が憲法九条改悪の動きを憂い「九条の会アピール」を発表されました。そして、全国で様々な方々が、思想信条、政治的立場の違いを乗り越えて、この「九条の会アピール」に賛同し、憲法九条を守るべく様々な「九条の会」が全国津々浦々で作られ、多彩な運動が展開されています。
私たちは宗教者として、皆さんに呼びかけます。
憲法九条の改悪は、決して許してはなりません。「九条の会アピール」に賛同し、憲法九条を守る世論を広げる運動に何とぞご協力をお願います。
お問い合わせは大阪宗教者九条の会までTel/Fax 06-6691-5650(立石)
大阪宗教者九条の会五周年記念・大阪宗教者9条ネットワーク発足
「平和の歌・舞から始まる大阪宗教者のつどい」のご案内とお願い
大阪宗教者9条の会は今月、発足5周年を迎えます。みなさまのおかげにより2005年1月27日の発足以来、街頭宣伝や平和パレード、憲法公開講座の開催10回)、賛同者連名ポスター発行(3回)など、旺盛な活動を続けてきました。現在、賛同者は500名を越えています。
2008年9月、「宗教者九条の和第4回シンポジュウムinおおさか」を400名の参加で成功させたことは、大阪府下宗教者の九条擁護の運動の画期となりました。
それ以来、「キリスト者九条の会」や「 真宗大谷派 九条の会」など、各宗教・宗派単位の九条の会との「交流会」が持たれるようになり、それを母体として、2009年9月には「九九九九九平和の鐘撞き・平和の祈り」を全国と世界に呼び掛け成功させることができました。
宗教者の中で「9条の会」の活動が広がり、各宗教・宗派単位での九条の会や、教団としての九条擁護の運動が発展してくる中、宗教を超えた個人の賛同者による会であった「大阪宗教者九条の会」は、より幅広く柔軟な活動を繰り広げるために、憲法九条を守る運動に賛同する個人・会・教団の交流と共同を進める「大阪宗教者9条ネットワーク」として生まれ変わることになりました。
つきましては、下記の通り、来たる2月27日、大阪宗教者九条の会5周年記念・大阪宗教者9条ネットワーク発足にあたり、「平和の歌・舞から始まる大阪宗教者のつどい」を開催いたします。
「九条の会」は全国で7500を越え国会においても9条改悪の勢力は減少しましたが、今年5月18日には「国民投票法」が施行され、鳩山首相は新年インタビューで憲法「改正」のための論議を進めると明言するなど、憲法9条を守り生かす運動はいよいよ重要な時期を迎えています。
御多忙のこととは存じますが、皆様のご参加・ご協力を心からお願い申し上げます。
大阪宗教者九条の会五周年記念・大阪宗教者9条ネットワーク発足
「平和の歌・舞から始まる大阪宗教者のつどい」
開催日 2010年2月27日(土)午後二時 開会
会場と日程
1.北御堂(津村別院 大阪市中央区本町) 午後2時より
各宗教による式典 ・組曲「正信偈」…浄土真宗本願寺派 ・ハンドベル…カトリック ・賛美歌と聖書朗読…プロテスタント ・吉備舞…金光教 記念講演「宗教者九条の願い」 信楽峻麿氏
2.南御堂(難波別院 大阪市中央区久太郎町) 午後4時20分より
大阪宗教者9条ネットワーク発足式・宗教者九条大阪宣言
3.宗教者御堂筋平和パレード 午後五時より 南御堂からなんば高島屋まで
大阪宗教者九条の会とは
設立にあたって
私たち平和を願う宗教者は、それぞれの宗教の教義・精神に従い、憲法九条を守るという一点で互いの宗教の違いを超えて手を結び、「大阪宗教者九条の会」を設立いたしました。
日本国憲法第九条は、人類が戦火に明け暮れ、多くの犠牲者を出し続けてきた悲しい歴史を繰り返す中で、やっとたどり着いた希望の灯火であり、戦争のない世界をめざす歴史の到達点です。
2004年6月、著名な知識人9氏が憲法九条改悪の動きを憂い「九条の会アピール」を発表されました。そして、全国で様々な方々が、思想信条、政治的立場の違いを乗り越えて、この「九条の会アピール」に賛同し、憲法九条を守るべく様々な「九条の会」が全国津々浦々で作られ、多彩な運動が展開されています。
私たちは宗教者として、皆さんに呼びかけます。
憲法九条の改悪は、決して許してはなりません。「九条の会アピール」に賛同し、憲法九条を守る世論を広げる運動に何とぞご協力をお願います。
申し合わせ事項
1、 この会の名称を「大阪宗教者九条の会」とする。
2、 会の目的
(1) 日本国憲法第九条の明文改憲に反対する。
(2) 大阪の宗教者の間で「九条の会」アピール(2004年6月10日 9氏のアピール)への賛同を広げる
(3) 憲法九条を守るための諸活動を行う。
3、 会の構成
(1) 会は、日本国憲法第九条の明文改憲に反対する大阪の宗教者によって構成される。
(2) 会は、呼びかけ人を置く。
(3) 会は、運営委員会を置き、運営委員会が会活動を運営する。
(4) 会は、事務局長を選任し、事務局を置く。会の日常的事務は事務局長のもとで事務局がこれを行う。
4、 会の財政は、個人のカンパによってこれをまかなう。会の会計は、事務局がこれを管理・運用する。
みなさんに呼びかけます
* 学習会や宣伝行動などを通じて、信者・市民の中に憲法第九条の改悪反対の声をひろげよう。
* カンパのお願い
本会は、個人のカンパにより運営されます。ご協力いただける方は、下記郵便口座にお振り込みいただきますようお願いします。
<郵便口座> 00940-9-222890
<口座名義> 大阪宗教者九条の会
「九条の会アピール」
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。
そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。
そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。
私たちは、この転換を許すことはできません。
アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。
なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日
井上 ひさし(作家) 梅原 猛(哲学者) 大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家) 加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家) 鶴見 俊輔(哲学者) 三木 睦子(国連婦人会)
呼びかけ人(敬称略)
岸田 俊昭
臨済宗泉光寺副住職
武力による平和って、なに?
日本人は、被爆を受けた。だから戦争の悲惨さ、むなしさを身にしみて知っているはず。
憲法九条を守ることこそが、日本から世界に向けて「平和の輪」を発信することになり、国際貢献につながると思う。
争いのない平和が訪れることを願います。
清 史彦
真宗大谷派瑞興寺住職
「憲法を改正して自国の防衛を」などと言うが、「何を守るのか」「国とは何か」という本質が問われなければいけない。
「アメリカに押しつけられた憲法やから改正せねば」と言うが、憲法改正論こそ“アメリカの押しつけ”でしょう。
たとえ押しつけられたものだとしても、日本人が自主的に「もう戦争はいやだ」と受け入れたんじゃないですか。
憲法を「押しつけ」と言って変えるのは反対です。
中谷 哲造
日本キリスト教団牧師
戦争の放棄を高らかに謳った日本国憲法第9条は、過去のにがい戦争体験を繰り返すまいというあらたな決意であり、
あの戦争でわれわれはあやまちを犯したということの懺悔告白でもあることを忘れてはいけないのである。
悪は自滅するということが、神の摂理であることを弁え、人の小細工(有事立法のこと)をやめようではないか。
仲村 惟貞
真言宗光明寺住職
九条の心-大事にしようよ、この宇宙のオアシスに・たった一つの地球の上に共存共生を!
私達人類は、この地球上で他の動植物と持ちつ持たれつの関係を無視し、恰も自分たちだけのものと勘違いして振る舞う。
おまけに人間同士が国という便宜上の枠組みで利害対立し、争い事を武力で、という愚かしさ・空しさに対し、断じて否と。
南條 和美
神社本庁宮司
いま日本の憲法九条が問題になっていますが、アメリカが「九条が邪魔」だと言うこと自体、おかしいと思います。
私は神社会にいますが、はっきりとモノを申したい。憲法九条を守るため、今はもう考えるときではなく、行動するときです。
西田 亨心
浄土宗 大長寺前住職
「共生」=ともいきの運動を宗教基盤にして来た我等は、生命の尊厳を冒涜する総ての行為には敢然たる闘争心を以て対峙せねばならない。
尊い犠牲の上に於いて獲得した吾等の誇る世界に比類無き現今憲法の「第九條」、将来の人類の為に絶対的決意を以て、宗教者の信念の一切を捧げて固守する事を新たな「誓い」とする。
長谷川俊夫
天理教 堺石分教会長
世界に誇る日本の宝である平和憲法改悪をたくらむ不穏な動きが急な今、
一切衆生の命の尊さを説き教えられた神意、仏勅を奉ずる全ての宗教者は教宗派の垣根を越えて九条を不戦平和の砦とする
日本国憲法を守り抜くために連帯共同しなければなりません。
深川 観澄
日蓮宗圓妙寺 住職
60年前の大阪大空襲で本堂が全焼し、あたりは焦土と化し、子供ながらに、二度とばかげた戦争はしてはいけないと痛感しました。お釈迦様のおしえをひろげる者として、戦争放棄をうたった憲法は堅持しなければなりません。
今また過ちを犯しかねない、危うさを感じます。
松浦 悟郎
カトリック司教 大阪教区
今、世界は重要な選択の時を迎えています。その中で、憲法9条を持つ日本の役割と責任の重さは、はかり知れまません。
なぜなら、世界中の平和を求めている人々にとって9条は、目指すべき目標であり、道だからです。
まだ私たちの手元にあります。もう一度選びなおしましょう。永久に手放さないために。
森 正隆
浄土真宗本願寺派 蓮光寺前住職
九死に一生、旅順→横須賀→自宅、敗戦後20日目 「敗戦学?」に対応できる暇もあらばこそ……。父親の手伝いとして檀家詣りに出る。そこで見たのが〔戦死者遺族の家〕 最愛のお子達を失われたご両親と目が合った。
先方様の目の中に私の全身が包み込まれた。たとえようもなき視線に戸惑いつつ、気がついたら、何と60年の歳月が流れ去っていた。
日本国憲法第九条とは
憲法はもう古い?
■戦争放棄と戦力不保持の法規定は、日本国憲法以前にもありました。
人類の歴史は、古代から現代まで、戦争の歴史であったとともに、戦争を忌避し平和を希求する、戦争のない世界を築く歴史でもありました。
(『歴史のなかの日本国憲法』浜林正夫・森英樹著 地歴社)
1000万人ともいわれる犠牲者を出した第1次世界大戦は、世界中に戦争反対の世論を作り出し、1920年に結成された国際連盟は規約前文で戦争禁止を謳い、第8回総会では侵略戦争を犯罪と規定するに至ります。
その後、各国間での条約で次々と「戦争放棄」が取り決められました。
1928年には戦争放棄を取り決めた「不戦条約」が63カ国の加盟で締結され、提案したアメリカのケロッグ国務長官はノーベル平和賞を受けました。国家の憲法でも、スペイン憲法(1931年)、フィリピン憲法(1935年)が「国家の政策の手段としての戦争」を放棄すると宣言しています。
第1次世界大戦後の平和の流れは日独伊の三国によって踏みにじられますが、平和への世界の流れは第二次世界大戦中も反ファシズムの闘いの中で続けられ、第二次世界大戦後に結成された国際連合に発展的に受け継がれます。1945年に採択された国連憲章では、「武力による威嚇」も「武力行使」も明確に禁止しました。戦後制定された各国の憲法でも、90カ国に平和条項があり、17カ国に侵略戦争否定条項があります。戦力不保持を規定した憲法を持つ国は11カ国。この中でも、日本国憲法はもっとも明確に徹底した平和主義を謳っています。
まさしく日本国憲法は、時代遅れどころか、平和を願う世界史の最新・最高の到達点であり、戦争のない世界をめざす「人類の財産」です。
攻めてこられたらどうするの?
■北朝鮮が攻めてきた時に有事法制が必要ではないかとよく聞かれますが、「北朝鮮が攻めてきたらという想定は、アメリカが北朝鮮に軍事圧力をかけることなしに考えられません。
現に政府でさえ、日本に攻めてくる国はないと国会で答弁しています。(昨年八月、防衛庁が「防衛白書」というものを発表しました。
これを読んでみると、日本は他の国から攻められる可能性は少ないので、侵略に対応する装備は縮小して、アメリカの戦争に協力できる装備を増やすべきだと書いてあります。
防衛庁自身が、日本はよその国から攻められないと太鼓判を押しているのです。)
日本と北朝鮮との関係だけでは北朝鮮が攻めてくることは考えられませんが、アメリカの軍事圧力のもと、どうしようもなくなって在日米軍の基地や日本の大都市をねらってテポドンが打ち込まれる可能性があるでしょう。
だから憲法九条を変えて、アメリカ軍と日本の自衛隊が一緒に戦争の準備をすることが、かえって北朝鮮の軍事行動をおこす要因になります。
憲法九条を変えないことが、北東アジアの安定と平和にとって大事なことです。
国際連合憲章
■第2条〔原則〕
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
1 この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
2 すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。
3 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
各国憲法の平和条項
■イタリア憲法 第11条(1948年施行)
イタリアは、他国民の自由を侵害する手段としての戦争、および国際紛争を願決する手段としての戦争を否認する。他国と同等の条件のもとで、国家間の平和と正義を億摩する体制に必要ならば、主権の制限に同意する。この目的をもつ国際組織を促進し支援する。
■韓国憲法 5条1項(1948年制定時は6条1項)
韓国は、国際平和の維持に努力し、侵略戦争を否認する。
■コスタリカ憲法 12条(1949年公布)
軍は、恒常的組織としては、禁止する。
■ドイツ基本法.26条1項(1949年施行)
諸国民の平和的共存を阻害するおそれがあり、かつ、このような意図でなされた行為、特に侵略戦争の遂行を準備する行為は、違憲である。これらの行為は処罰される。
国際社会における憲法九条の評価
■すべての国会の議会は、日本国憲法第九条が定めているように、政府の戦争参加を禁止する決議をすべきである。(1999年、ハーグ世界市民平和会議)
■すべての国が日本国憲法第九菜に述べられる戦争放棄の原則を自国の憲法において採択する。 (2000年、国連NGO会議)。
■アナン国連事務総長のよびかけで、2005年夏、武力紛争予防のための市民社会の役割を議論する大規模な国際NGO会議がニューヨークで開かれる。
日本のNGOはこの会議にむけて、「東北アジアの紛争防吐防止装置として憲法九条の役割」を強調し、改憲による九条の危機と軍拡問題などをとりあげるべき課題として準備をすすめている(「朝日」8月12日付夕刊)。
各界の憲法九条への態度
■自民党(改憲)
自衛のための戦力の舞持を明記する。個別的・集団的自衛権の行使に関する規定を盛り込む。非常事態全般(有事、テロ、大規模暴動、自然災害など)に関する規定を盛り込む。
■民主党(創憲)
9条の平和主義を引き継ぐが、国連の集団安全保障に関与できることを明確化「制約された自衛権」を明記する。武力行使は最大野限抑制的であることの宣言を書き入れる.
■公明党(加憲)
戦争放棄、戦力不保持を堅持した上で、自衛隊の存在の明記や国際貢献は加憲論議の対象として慎重に検討。国連集団安保への関与は、あくまで民生中心の人道復興支援が主体。
■共産党(護憲)
自衛隊は違憲であり国民の合意で段階終的に解消し、9条を完全実施する必要がある。
9条に反する軍事同盟である日米安保を廃棄し、平等な立場で日米友好条約を結ぶべきだ。
■社会党(護憲)
米軍支援海外派兵や多国籍軍参加に至った自衛隊の現状は違憲。北東アジア総合安保機構を創設。自衛隊の縮小改編と並行し日米安保は平和友好条約へ。国際協力は非軍事で。
■財界(経済同友会ほか)
戦後の「平和主義」「国際協調主義」は今後も引き継ぐべき。集団的自衛権の行使は現憲法の枠内で対応(経済同友会)。尊事力使用の枠組みを憲法に明示(日本経済調査協議会)。
■読売新聞改憲試案(2004年)
第2項を改正(大量破壊兵器の製造・保有・使用の禁止、自衛のための軍隊の保持、総理の最高指揮権を明記)。「国際協力」の章をたて、国際的機構の活動その他の国際の平和との維持、回復、人道的支援のための国際的な共同活動への協力(軍隊の派兵含む)を明記。
■アメリカ(政府関係者)
「日本が集団的自衛権を否定していることが同盟関係を束縛。これを撤回することはより緊密で効果的な安全保障協力を可能にする」(2000年10月アーミテージ報告)。
「安保理常任理事国としての義務を担うなら9条は吟味すべき(パウエル国務長官)。
「日本国憲法」公布の翌年、文部省が作った中学1年用の社会科の教科書
■六 戦争の放棄
みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。 それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。
いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。 こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。
何もありません。 ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。 世の中のよいものをこわすことです。
だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。 このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、 またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。
しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。
日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。
おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。
また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。
そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。
活動記録
■ 「大阪宗教者九条の会」第2回運営委員会 (於:2005年4月1日 大阪カトリック大司教区シナピス 出席者13名) 議事録
,「九条の会アピール」への賛同、賛同ポスターへの協力の働きかけ
・呼びかけ人10人のメッセージ、趣旨書(大阪宗教者九条の会リーフレット)
・「憲法9条今こそ旬」(九条の会リーフレット)
・ご協力のお願い
・返信はがき
・郵便払込用紙 をセットにして、府下の宗教者に働きかける。
※教派・宗派ごとに宗教者の数を確認する
2,HP制作と活用
(1) 画面をさらに充実する
(2) 賛同者を増やし紹介する
(3) 賛同ポスター協力金の振込先HP口座をつくる
(4) 「宗教者の発言」の原稿依頼
3,賛同者のポスターは、憲法会議の「平和」ポスターを活用する
4,予算案の確認
5,今後の活動予定
(1)「5.3大阪憲法のつどい」
(主催)弁護士9条の会、阪大・9条の会、大阪宗教者九条の会
(日時)5月3日(憲法記念日) 開場午後1時 開会午後1時半 パレード
(会場)大阪城公園野外音楽堂
4月5日(火)午後2時 記者会見
4月25日(月)午後7時 発起人会兼スタッフ会議 (シナピス)
(3)弁護士9条の会講演会 4月6日
(4)第3回運営委員会 5月9日(月)午後7時 シナピス
)
■ 「大阪宗教者九条の会」設立記念講演会 (於:2005年1月27日 大阪カトリック大司教区)
写真:大阪民主新報より提供
大阪宗教者九条の会設立記念講演会(全文)
開会挨拶(中谷哲造氏)
10人の呼びかけ人の一人、中谷でございます。全体の司会をつとめさせていただきます。ただ今から講師紹介を兼ねて開会の挨拶をさせていただきます。
もうすでにご承知のように、自民党の方では憲法の「改正」の素案が作られ公表もされてますが、それがかなり多くの大きな問題を含んでおります。憲法九条を早い機会に変えてしまおうということが推し進められようとしていると、皆様もご承知のことと思います。
そのような状況のもとで私ども宗教者も「九条の会」を設立して、彼らの言う憲法の「改正」をなんとかストップしたい。そういう願いのもと、今日の「大阪宗教者九条の会」設立ということになったところでございます。
すでに著名な9名の方々によって「九条の会」が作られておりますし、全国各地にそれぞれの立場で「九条の会」を立ち上げていく動きもかなり活発になってきました。これは大変ありがたいことだと思っています。
私たちもこれから力を合わせて、所属する宗派を超え、あるいは教派を越えて、ご一緒に手を取り合ってこの「九条の会」を強力なものにしていきたいと思っています。
今晩そのような状況の中で、まことに適切な講師をお迎えすることができました。吉田栄司先生は1952年に山梨県甲府市でご出生でございます。京都大学の法学部、大学院修士課程、博士課程を経て、同大学法学部助手に就任なさいました。その後に新潟大学教育学部講師に転任、1987年に関西大学法学部に専任講師としてご着任になり、現在は関西大学法学部教授をお勤めで、ご専門は憲法学でございます。また国会改革問題で参議院に参考人招致をお受けになったり、地方分権化問題で兵庫県知事の招請で政策局の定期会合にも参加されたりもなさっています。今日の集まりに最も適切なご講師でございます。
では吉田先生、どうぞよろしくお願いいたします。
吉田栄司氏
ご紹介いただきました吉田でございます。本日はお招きをいただきましたことに厚くお礼を申し上げますとともに、ここにお集まりの皆様に敬意を表したいと思います。
9月に大阪中ノ島に、6月に結成された「九条の会」から井上ひさしさんはじめお三方が来られた。そこでの司会をつとめさせていただいたのが私でございます。
私がそこに立ったのは、9名の中に一人専門家としまして東京大学法学部と言うよりは、社会科学研究所、日本全体の社会科学研究の総本山的なという言い方はおかしいかも知れませんが、そこの憲法専攻の教授の奥平康弘氏、その下に事務局のようなものが作られている。そこから依頼を受けて「大阪でまず一発やるから、おまえ動け」と言われまして、8月あっちこっち飛び回って、大阪府庁で記者会見やって、「こういう企画があるので、新聞報道してくれ」と新聞各社にお願いもしたんですが、ほとんど報道してくれなかった。
そういう中であれだけの方が集まった。ぼくらの予想を大きく上回る集まりになった。それからあっちこっちから声がかかるようになって、秋以降あっちこっちでお話させていただく、今日もそういう流れの中でご要望をいただきましてうかがった次第でございます。
今日は三つのことを話させていただこうと、資料を配らせていただいております。
ヨ―ロッパを漢字で書くとき、なぜ「西」という字をあてるか。アジアというのは今のイラン、イラクあたり、ロ―マ帝国ですね、ここらあたりからが「西」なんですね。地震・津波になったあの半島、タイその他を含むあそこらへんをインドシナと呼ぶのもご存知ですね。これらがインドという大帝国と、さらに東に秦という大帝国があると、ロ―マではそのように把握されていた。
もう一度話をもどしますと、今のイラクの問題を、ヨ―ロッパのキリスト教世界の国とは違う、アジアで起こっている問題と言うふうに見る必要があるような気がしています。一つアジアがヨ―ロッパに大きく貢献したものとして紙がある。シルクロ―ドと言うけれども、絹とか胡椒とかいうのは確かにいっぱい運ばれましたが、それよりももっと大事なのは紙。紙は中国で作られた。漢の時代から隋、唐と流れていく中国において官僚たちがさまざまな文書を、竹簡、木簡という形で残している。これをもっと軽くて収納可能な形にできないかと研究し、様々な試行錯誤を経て、今われわれが使っている形の紙が作り出された。この紙がイランの北の方にあった中央アジアのペルシャと中国との境を経て、今のイラン、イラクという辺へ大量の技術者を含めて連れていかれて、それによってヨ―ロッパへ紙というものが入った。
もう一つ今日の話と関係ないのですが、数字のゼロ、これは文字通り仏教の発想、アジアの発想です。ラテン、ロ-マは数字を書くとき、I、V、X、こういう「時計文字」を使いますね。5はV、10はXと書く。これがロ-マ数字つまりヨ-ロッパ数字で、ゼロが無いんです。ゼロが作り出されるのにアジアが大きく貢献している。これが無ければコンピュ-タは無いですよ。プラスとマイナスで、1と0で全部演算処理していく。コンピュ-タもアジアの貢献なんです。
それをヨ-ロッパがとり入れるのは実はイスラム圏を経て北アフリカから入る。だからアラビア数字という言い方がされてますが、本当はアジアナですね。
憲法というもの、あるいは人権と言う発想、議会主義というもの、こういうことはヨ-ロッパが世界全体に貢献したことというふうに、私は理解しています。
「オッチャン憲法って何?」と聞かれたら皆さんはどう答えますか。憲法が国の基本法だということは、何となく常識的に分かってはいる。「憲法ってなあ、憲の法でのりののりや。大事なものだ」とは言えるかもしれないが、それでは「どういうことか、わからへん」と切り替えされてしまう。
そもそも法ってなにか。「法はなあ。それはル-ルでなあ。守らなあかんもんや」と、こう言われるかも知れませんが、違います。法とは何かを全世界でも日本でも法哲学会というのがあって議論しているように、一言でいうのは難しいことなんです。ここで皆さんに、憲法とは何かと聞かれたときに、話していく基本は何かということを、始めにお話しておきます。
人間は二人以上集まれば争う。だから社会の規範・ルールがあります。社会とは何か、社会とは複数の人間の集合体、あるいは共同体を言います。一番身近な原初的なところで言えば夫婦、家庭がそうであり、隣近所がそうであり、吹田市、大阪府、日本社会、そして我々は今、国際社会、人類社会という広がりのなかに今我々はいると考えてください。
社会のルールにもいろいろある。いわゆる道徳、宗教もある意味ではそう。決まりに従うことによって平穏に安穏に秩序立ったかたちで暮らしていける。そういう意味で社会規範の一つとして宗教を把握することもできるんだろう。ただ道徳その他様々にあるルールと、「法」というルールの性格の決定的に違うところは、こうしろ、こうするなというものの体系では基本的にはなくて、していいこと、できること、こういうことはできるはずだ、こういうことしていいはずだ、そういう人々の「権利の体系」なんです。正しい利益という意味での権利。人を害するような利益は権利ではありません。人に対してできること、してもいいことの体系が「法」なのです。その最も基本がそれぞれの国の憲法。それを調べ直しまとめて自分で人に語れるようにしていただきたいというのが、出発点での私のお願いです。
国の一番根本的な法、そこに人権規定というものが並べられています。全ての国民がそういう権利を持っていて、それを実現させるために税金を払い、役人に仕事をさせ、役人をまかなっている。こういう構造の出発点は、日本に西洋のものが入ってきたのは16世紀半ば、ポルトガル人が種子島に到着して、その直後にキリスト教が入ってきた。つまり日本がヨーロッパに最初に接したのはその頃。従ってイギリスという言葉も英語ではなく、ポルトガル語です。つまりラテンの流れでいうと、西ローマの国々、今でいうスペイン、ポルトガル、イタリア、フランス南部などいわれるラテン系が治めたので、中南米をラテンアメリカなんて言いますが、これはローマ周辺のラティ-ナの言葉、今は死語になって、バチカンでしか使われていないラテン語。
イギリスは、ラテン語でエングレスですね。この国であることが起こりました。ジェ-ムス2世という人物ですが、この国王がむちゃくちゃな人だった。日本で言ったら江戸の綱吉の頃ですね。あの頃にすでに数百年のそれなりの経過があった議会、テムズ河の大きな時計台のビッグベン、あれが今のイギリスの議事堂ですが、そういうのがすでにあった。
パーラという言葉がありますね。議論、談話。パーラメントというのが議会と訳されている。そういうのが国王のもとにあって国王にいろいろと言う。そういう制度があって、その議会がジェームス2世に対して文書を突きつけた。
俺たちが納得するのでなければ戦争なんかするな。おれたちが決めた基準でないと税を取り立てるな、突然引き上げるとかいうようなことは許さない。我々が同意した限りにおいて行なえ。
今では租税法律主義、法廷主義とかいう言い方をしているような考え方、制度が出来上がってきた。我々が決めた刑罰規定、どういう行為を犯罪とし、どういう刑罰を科すかは法律で、ちゃんと文書で決める。
そうではなくて役人を使ってとっ捕まえて刑罰を科することなど許さない。それをbill of rights、正しいことがらの書きつけ、権利章典と訳されていますが、議会が作って国王に突きつけられたその文章こそ憲法というものの原型であった。
人権規定の原型なのだ。国王の下にある役人たちが、軍隊を含めてですがめちゃくちゃなことを国民にしてくる。許されない。俺たちが集団で議論してこれがいいと決めたらそれが法だ、皆の権利を守るための役人の手をしばる、最終的には国王の手をしばる、そういうものを作り上げるということが興った。それを国王ジェームス2世に突きつけた。
「なんだお前ら、とんでもない」と国王は蹴っ飛ばすんですね。そこで議会は「あんたは国王でない。我々は国王として認めない」と、ジェームス2世を追放して、議会の言うことは当然だと言った王女とその旦那を国王にした。
国王の首を挿げ替えた。名誉革命と呼ばれていますね。
だましたり切ったり張ったりではなくて、言葉を使って皆の納得を求めるかたちをとって、権力のあり方というものを決めて、王の支配、人の支配でない法の支配をそこから獲得し始めた。と言われている。
そういうイギリスなのに植民地でめちゃくちゃな課税を始めた。「えっ、突然お茶に税をかける。そんなことならお茶なんか捨てた方がいいわ」というようなことに端を発してアメリカがイギリスから独立することになりました。
ここがついに独立をする。そのときに「人は生まれながらに自由平等なんだ」と、それをはるか離れたところにいる国王だか議会だかが勝手に殖民課税してくるのは許されないといって「俺たちは俺たちだけで」といってアメリカの憲法ができました。その中で結局、俺たちは国王はいらないけれど国王に匹敵する人は必要だから皆でこの人は優れているという人を選挙で任期をつけて選ぶようにした。これが大統領。その限り4年間は彼が最終的に法を実現していく役割をつとめる。すべて国民の権利・利益を守るために法を執行するかたちで動く。それを規制するルールをつくるのは国民代表議会。場合によってそこらで作った法に基づいて役人が動くとはいえ、憲法に書かれているような利益にそぐわない違憲の行動をすることがあり得るから、裁判所にチェックさせる。それがフランス革命につながっていく。
フランス革命は人権宣言を改めて打ち出します。1789年のことです。江戸の徳川家10代家宣のころのことですが。これが19世紀に入るとドイツやスペインやイタリア等に広がっていきます。ここらでは国王を温存したかたちで憲法典を持とうという中途半端な民主化なんですがそういう形になってくる。
19世紀の後半にドイツ、ロシアがそういうかたちになって、自分たちの国の内部をきっちり固めてそれぞれの利益追求してもいいというかたちをとったがゆえに、実は産業革命が起こってくるわけです。そして資本主義的経済発展がどんどん進むということになった。一方で国内では弱いものをどんどん弱くする。 強いものはどんどん強くなる。そのような形で資本と労働の矛盾がどんどん進んでしまうと同時に、対外的にアジア、アフリカを侵略の対象として植民地として資本主義的利益の犠牲にしていくということも進んでしまうわけですね。
ついに20世紀に入った段階で、遅れてそういう体制になった二つの国ドイツとロシアが、ヨ-ロッパの南東バルカンというところでぶつかってしまう。その第一次世界大戦には日本は加わっていない。ロシアがそういう形で入り込んできたので、東の方がちょっと手薄だろうということで、シベリア出兵なんてことやってますが。
ここで押さえなければならないことは、ここら辺の革命とはやや質を異にして、ここら辺が生み出してしまっていた矛盾、つまり弱者とか位置付けられていなかった女性、農民、労働者、病人、そういうものも当然一人一人人間として本来的に対等平等だ、民族的な区別もなしに人は人として平等ではないか。ということを改めて打ち出してきた。こういう新しい革命を兵士を中心にこの二つの国が第一次世界大戦という両国の国王、ニコライ二世とヴイルヘルム2世ですが、これが引き起こした第一次世界大戦の末期に、それぞれの国で新たな革命が起こってくる。
労働者や農民や兵士や女性を位置付けた革命が、1900年代の10年代後半に起こってくる。翌年にドイツに起こる。こういう動きになってくる。ところがしかし改めて、第二次世界大戦ということになってくる。
こういうところで本来的に人々は、自由で平等なはずで、と言ったんだけどこれが形式的に過ぎたんですね。そこでもっと社会的存在ということを見直す必要がある。言うことで新たに、福祉をちゃんと位置付けよう、教育をちゃんと位置付けよう、そもそも働くということを大事なこととして、権利として打ち込もう、こういう動きが出たということが重要だと思います。
こういった20世紀の前半の動きを全部受けて、終戦後の日本を占領したGHQは、当時の国王つまり天皇のもとでの、ドイツを模範にした。もともとキリスト教的な背後というか権威付けのない日本は、国王(天皇)自身が神だという形にした。もちろん国学からの流れもあったので天皇自身が神ということは突拍子も無いことではなく、これを明治憲法に明記するということをやって、そのもとで侵略ができるという形をとったということが云えるわけですね。
そういう日本に対して、あるいはその天皇の政府、天皇の下での一番上の家来として大臣、天皇に近い、帝国陸海軍の…・(数語聞き取れず)…。
全世界の20世紀半ばまでの民主的な大きな流れ、憲法が出てきてそれがどんどん広がって、人々がより幸せにという歴史の流れ、しかし一方では、弱い国に強い国がどんどん入り込んで侵略するとかいうこともあったのですが、、そういう19世紀後半から20世紀にかけての民主主義の世界的な動きを受けて、GHQは遅れた日本政府に対して、もう軍国主義の時代ではない、一人一人が人権の主体で、国の仕組みは天皇に仕える仕組みではなくて、全ての国民に仕えるシステムである。全ての役人、公務員は天皇の下僕ではなく、国民の下僕であって、天皇まで含めて人権を守る主体なのだ。憲法尊重擁護義務を憲法は一番最後に書いてますが、そういう人類的な人権性の流れに乗ったかたちで憲法原案を当時の遅れた日本政府に押し付けたという側面はある。
しかし僧ではないのです。たとえば、日本国憲法で男女平等とか自由ということを書いたから、女性参政権があると思いこんでる人があると思いますが、そうではない。日本国憲法を作るための衆議院総選挙を男女平等でやれとGHQに言われて、しぶしぶ日本国政府は男女平等の選挙を実施して、46年の4月10日ですよね。日本国憲法を作るための衆議院総選挙をやった。すると、39名も衆議院議員に女性が入ったんですね。そういうことで男女平等、普通選挙をやって、それで審議して議決、18箇所も、99箇条、附則を含めて103箇条あるんですが、前文も含めて18箇所も直している。25条重要だってこと知ってますね。生存権、あの審議の過程で決められてるんですよ。あといろいろ議論して重要なこといっぱい修正もして、そうやって決めている。
つまり、押し付けられたなんてあのときの国民代表たち、議員たちは誰一人思ってない。それよりも少しでもよくしよう、これはいいものだ、すごい、そういうことで議論も十分にし、手直しもして可決成立させている。
その直後の「毎日」「朝日」その他の新聞、大きい図書館縮刷版で見ることができます。圧倒的多数の世論調査の結果、「今度新しく憲法で天皇様には全く権力、決定権は無い、象徴という形になっていただくけどどうだ」、「その方がいい、その方がいい」。「今度我々は、日本は軍隊を一切持たないことにしてしまったけどどうだ」、「その方がいい」。圧倒的多数がそのことを支持していたことが数字で明らかになっている。
それを今ことさらに、押し付け憲法といっている。専門家からいえばとんでもない言い方で、事実を知らないか、ためにする議論だと言わざるを得ない。
もう一つ重要なことは、GHQの背後には、圧倒的な人類というか、連合国という形になるかもしれませんが、オ-ストラリア、ニュ-ジ-ランド、インドやパキスタン、ベルギ-やオランダや全部いるわけです。それらの要請を受けて、中国やソ連はもちろん、それらの要請を受けてGHQは憲法原案を日本政府に提示したんです。本来はポツダム宣言の内容で動けって言ったんですが、意味が分かってなかったんですね。当時の日本政府に。そのことが当時の「毎日新聞」に出ています。
これではどうしようもない。ポツダム宣言について全然分かってない。日本政府には原案を作る能力全く無い。これでは原案こちらで作る以外にない。ということで原案はこちらで作ろう。しかし、それについての審議、修正、可決、成立、さらにこれの国民の受け入れ、これらが押し付けになってはならない。いやいやながら訳のわからないものをしぶしぶ飲むということでなかったことは明らかなんだ。ということです。
それと合わせて、45年の6月段階、7月にポツダム宣言がでるんですが、つまり5月にドイツがつぶれるんですね。その翌月の段階で戦後の世界を構想してイギリスとアメリカを中心にではあったんですが、ソビエトのスタ-リンを含めて議論が開始されて、戦後の国連憲章の原案が出来た。中国の蒋介石の基本的ゴ―サインももらっていた。中、ソ、米,英この四大国が、6月に国連憲章の原案を作って、これが10月に発効した。国連憲章に合わせて遅れた日本の憲法を変えたのと違うんですね。日本国憲法の方がもっと新しいんです。しかも国連憲章は原爆を知らない段階で作られたもの。原爆はその2ヵ月後に落とされた。日本国憲法は、原爆を見た後、信教の自由は大事だ、表現の自由も大事だ。だけど戦争が一旦起こったら、教会も寺も吹っ飛ぶ。新聞社もなにもつぶれる。さらに新しい社会権、相対的に弱いものを救おうと位置づけたって、学校も病院も全部飛んでしまう。戦争やりたい奴はいるだろう。弱いものいじめしたい奴はいるだろう。それでもうけたい奴はいるだろう。しかし、全体で智慧を出し合ったら、あれもつぶれる、これもつぶれるという経験を我々したではないか。だから平和ということを憲法にしっかり位置付けようやないか。自分たちを守るため守るためと言って、ずうっと戦争やってきた。挙句の果てに原爆という兵器まで作ってしまった。
ポツダム宣言を受けて戦後再出発という段階でマッカ―サ―と、当時の首相幣原喜重郎がかなり議論して、基本的に、天皇をどうするか、これは残そう。軍はどうするか、軍は持たない、ということを合意した。
マッカ―サ―が回顧録に書いています。
この幣原喜重郎が大阪門真の出身なんですが、東京帝国大学を出て外務省に入って、第一次世界大戦後のヨーロッパに何度も出かけていく。さらにこの時代、1920年代というのは日本における大正デモクラシーの時代、さっきちらっと言いかけた女性の参政権も、ヨーロッパではまずロシアが実現する。翌年ドイツが実現する。それを見てイギリスでも大きな動きが出てくる。Blue socksと言われる運動で、それを平塚らいてうは青鞜社と訳して、女性参政権の運動を起こした。男子普通選挙は実現したのですが、女性まではいかなかった。
労働運動も活気づきました。労働者の地位を位置付け直す。たとえばメーデーも大正期に日本で動き出したものですね。イギリスでも動き、アメリカでも動く。メーデーの5月1日って言うのはどういう意味なのかご存知ですか。一番ひどい労働者侵害があったのがアメリカなんです。シカゴとかデトロイトとかにおける労働者運動に対して大弾圧があったんですね。その日を記念しているんですね。労働者弾圧があった日を全世界の国民、労働者の祭典にしていこうと、みんな認識をひろげて、自分たち労働者は社会的存在だということをしっかり考えて、自分たちの権利を国や役人に対して主張して、教育を求め、福祉を求め、働く事をしっかり確保する、そういう国と役人たちの仕事を追及していこうということでメーデーが始まった。日本でもメーデーが始まったのはそういう20年代だということを知っておいてもらいたい。
以上が前段の話ということになります。
「前文」の条文、四段落構成で出来上がっています。
戦争って何ですか。国権の発動の一種。国家権力の外に対して行なう国家の行為、交戦権という言葉が9条2項に出てきますが、要するに戦いを交える、戦争し合う、そういう国家の権利というふうに19世紀以降、これらの国々が国際法、国家間の法として決めていたことですね。戦争のあり方、平和のあり方、をいわば国家間の契約というか法関係というか権利義務関係というか、そういうものとしてはなお、国連憲章は全世界の憲法という段階にはまだ達していません。国連の総会がありますが、各国の議会というほど固まってはいません。全ての人々が、全ての国々が拘束されるということにはなっていません。国際司法裁判所の萌芽というようなものがもちろんできてはいるのですが、そこが判断したら国際法違反、従って制裁が科されるというようなシステムにまだ出来上がっていません。国際法はまだ法の段階に至っていないのではないかという議論もまだあるんですが、それはともかく、いま確認したいことは、なお一つ一つの国が、いわば国の中の一人一人の国民のように、権利の主体と位置付けられて、不十分な国際法レベル、あるいは国際社会であるがゆえに、自分で自分の身を守るということが、一応まだ認められている。つまりリンチみたいなことをするとか、自分で仇討ちするとかいうことを認めているところがなおまだあるんだということです。
そういう中で20世紀半ばの日本は、大日本帝国憲法のもとで、何をどのようにアジアに対してやったのかということも考えると、つまり加害者。さらには原爆という人類最終兵器と言われるものの文字通り唯一の被害者。戦争でそれを使われた唯一の国が日本。それを踏まえればということで、幣原喜重郎は1920年代のそういう国を含めて、全部見ていたわけです。
憲政、護憲三派連合とかいわれる、加藤高明とか原敬に始まって犬養で崩されてしまう衆議院の中で最大の勢力が内閣の首班を占める、そういう構造を議院内閣制といって、現在の日本国憲法はそれをとっているということは小学生でも知っていることですが、明治憲法にも内閣らしきものがあり、首相がいたから議院内閣制だったと思うのは、これは誤りです。
明治憲法のもとでの国務各大臣は「天皇を輔弼しその責に任ず」。つまり天皇に任命されて、文字通り天皇の手足として動く。天皇に対してだけ責任を負う。
帝国議会(国民・臣民家来と言うのといっしょのことですが)と切り離されて、全く関係ない。天皇にだけおつかえする。そういうことでシステムとしては超然内閣制という用語で把握されますが、切り離されている限りにおいて民主的なつながりがないんです。それが事実上のシステムとしての議院内閣制に1920年代、18年の原敬から31~2年の犬養くらいまで、20年代に続く。その過程に於いて男子普通選挙制というのが一応成立するであるとか、労働者たちの労働組合その他の動きがでてくるであるとか、女性の地位向上であるとか、農村その他広く含めて、5000円札だった新渡戸稲造だとかいろいろな動きがあったと思うのですが、そういう大正デモクラシーがあった。
そのときの歴代の外務大臣であった幣原喜重郎と、今言った45年後半から46年にかけて、新しい日本の憲法を作るに当たって、今言ったマッカーサーを通じてであるけれども、オーストラリアやなにからそういうところも含めてですね、それまで、20世紀までのあるいは45年までの人類史的、憲法史的見解の最先端をGHQは日本国憲法原案として提示して、それを審議検討して今の日本国憲法は出来てきた。その中に平和をきっちり位置付けている。そういう経験をしたから、ということを確認していただきたい。
で、九条ですが、天皇をどうするのか、やっぱり象徴として残っていただく、その方がいいという決断、判断をマッカーサーがした。天皇をそっちのけにして、ある場合には東京裁判で断罪して、皆で選ぶ大統領制、そういうものを本当に機能させる日本人の状況じゃない、ものすごい時間かかるだろう。憲法、あるいは人権というものは、あるいは逆に権力というものは国民のために発動されるものなんだ、すべての公務員が国民のために仕事をするんだという認識を、いくら主権者はお前たちだ、おれたちなんだよと言ってみても、はあ?という状況だったんですよね。
そう言うことからいえば、一挙に共和制というか、大統領制のようなことを提起するのは難しいから、天皇の権威を通じて民主化をはかるというにしくはない。そう判断をして、そのようにお願いしますという流れで、2項を、第二章をこれはバーターではないけど軍は一切持たないという決断をしたほうがいい、そうした方がいいかも知れんということでマッカーサーもうなずいた、こういう流れになっている。
9条1か条で軍を持たないということを決めた。レジメにあえてその文章を出しましたが、戦力、軍隊、陸海空軍その他の戦力って何ですか。軍隊って何?、これ自体憲法学でも議論し続けているところであるんですが。
人を殺傷しものを破壊するための物的人的組織体を言う。それが軍。実質的に軍を名乗らなくっても、そういう存在があるから陸海空軍その他の戦力という言い方をしている。名乗らなくってもそういう存在を戦力というふうにとらえて、それは保持しない。このように明確に打ち出した。
それなのになぜ自衛隊がおるのかということになりますが、それは歴史であり現実としての政治の流れなのです。46年4月に行なった男女平等の選挙で衆議院が成立して、そのもとで6月から正式に審議がずうっと進むわけですね。夏にかけてずうっとやって、そして改めて貴族院という今の参議院へ送ったら、そっちの方でもいろんな声がでてきた。その中に東京帝国大学の憲法学の教授とか、京都帝国大学憲法学教授とかが入っていたこともありますが、そういう声も出されて、旧貴族院の方でも修正があったので、もう一遍衆議院に戻すというようなことがあって、衆議院の方で再議決という形で46年の秋にかたちが整った。そして11月3日に公布をするというかたちをとって、半年間皆に知らしめるということにして、47年の5月の3日に憲法の施行、効力を発揮するということになりました。47年というともう、実は戦後のアジア、戦後のヨーロッパで、東西緊張ってのがもう芽を出してきた。
これはご承知ですよね。さっきの日付で言うと45年の5月にドイツが崩れたといいましたが、その直前45年の4月段階でアメリカのルーズベルトが死んでしまいます。急遽トルーマンという副大統領が大統領に就任するということになる。45年の6月から7月にかけてポツダムの議論が始まって、太平洋での戦争どうするのかを議論する。
ルーズベルトを受けたトルーマンがスターリン大嫌い人間だった。その緊張関係、不信感をつのらせるような関係が47年、48年、49年と続いていくわけです。そしてソビエト占領地域であった東ドイツ地域、これはベルリンを飲み込んでいる地域なんですが、そこが東ドイツとして発足する。ソビエトの影響下においてという形で。イギリス、アメリカ、フランスが、フランスは実質ロンドンに亡命政権をつくっているようなかたちであったのです。イギリス、アメリカと、フランスも占領に加えさせて欲しいとスターリンが頼んだ経緯があって、3ヶ国が占領していた地域が西ドイツとして発足する。
日本の吉田茂首相と同じ時期の首相にアデナウアーという人物がいるのですが、彼の生まれ故郷に近いボン村というライン川沿いのケルンという、大聖堂がある宗教都市、ドイツで4番目の大都市で京都と姉妹提携していますが、ケルンという町からさらに30キロほど下がったボン村というところの、石作りのmuseumで政権会議というのが、州政府代表だけ集めて決める。当面の西側の11の州の政府代表だけで決めてしまう。つまり暫定的な基本法律というかたちで、これは憲法ではない。憲法は統一した段階でつくる、こういうかたちで動き出してる、戦後西ドイツの基本法律というのはドイツの憲法のかたちをとった。そのようなことをも乗り越えてるような日本国憲法が動き出しているんですが、その東西緊張のなかで、49年に東西のドイツが明確に動き出す。それぞれ別々に。鉄のカーテンができたとチャーチルが言ったですけれども。
そして50年ついに朝鮮戦争勃発。こういう緊張の中で、日本が少しでもソビエト、中国に近いような国になることをトルーマンはものすごく恐れた。だから日本にこういう憲法を作らせたんですが、あっという間にそれを止める動きに入った。
地方分権は当然だと言っていたのに、逆に集権化の方の方が都合がいい、戦犯も使える人物はつぎつぎに釈放してしまう。ヨーロッパでは考えられない、ドイツでは全く考えられないことですが、東条内閣の商務大臣が首相になる。信じられないことですね、彼らにとっては。ナチスの近くにいた人が首相になるなんてことはあり得ないことで。それをずるずると引っ張り出してくる。そういうような50年代から60年代、そういう中で54年に自衛隊というのを作らせてしまう。作ってしまう。いうことで結局日本の憲法、世界史的な先端の憲法であったにもかかわらず、いうのが1950年前後。それ以降の日本の流れ、それは少しでもアメリカ寄りに経済成長させて、そしてアメリカ寄りに動いてくれる目下の同盟国とかいろいろな言い方ありますが、日米安保条約の下で日本がきてしまっていた。もちろんアメリカと日本の財界の関係には緊張関係みたいな敵対関係みたいな側面もあるんですが、しかし共同歩調を取ることによって、共通の利益追求ができるという判断でずうっときた。
今なぜ、この憲法を改めて全部ひっくり返そうというような動きが始まったか。それは、1989年。日本で奇しくも旧憲法と現憲法を引き継ぐかたちで主権者国王・天皇の立場から完全に国民者主権の下での象徴天皇になった裕仁氏、彼が亡くなった平成元年、奇しくも野党が参議院選挙で大きく躍進した。マドンナ旋風が吹き荒れた年。改めてかつての70年代のロッキード疑獄を上回る可能性があるというリクルート疑獄、佐川急便、そういうものが噴出してきた年ですね。さらに戦後の税の枠組みのなかで、一挙に薄くかもしれんけど多くの国民から大量に税を取れる一般消費税導入、これが決まったのもこの年。そういう大きな変転のこの年、世界も大きく動き出した。アジアでどこがどう動いたか、当時。中国ですね。中国で天安門事件が起こったんですね。彼らは何を掲げていたかご記憶ですよね。自由の女神、あるいは民主主義、自由、平等、そういうことを社会主義のあの国において、若者、学生、教員、医者、そういう者がそこに集まって、中国の政府を動かそうとした。ところが人民を解放するための軍隊、戦車が無抵抗の自国民たちを殺していった。
同じように85年段階ある動きがあったと言われるのですが、ゴルバチョフがソビエトにおいて、彼がソビエトは大変なことになる、ということで数人を飛び越えるようなかたちで書記長に就任する。そして改革、ペレストロイカ、それを開始した。その流れの中で社会主義国の中で最も優等生といわれた東ドイツが実はガタガタであるということが分かってきた。そしてごついに存知ですね、東欧革命といわれる流れに入っていった。89年の11月ですね。ベルリンの壁が崩壊したのが。
私はあのときドイツにいましてが、わけがわからなかった。何だこれはと。日々叫ぶような調子でニュースが流される。一生懸命分かるような人に聞くんですが、さっぱり分からない。壁が壊れたんだというが、分からない。説明聞いてもよく分からなかった。いろいろと新聞一生懸命見て事態の進行について行けなくて、いろいろ資料集めてもすぐに紙くずでしかなくなってしまう。僕が帰ってくる91年の夏、あと1ヶ月ドイツで暮らしてたら、ソビエトのあのクーデターに巻き込まれている、91年8月。僕は7月にエアロフロート機で帰ってきましたのが、危ないところだったんですね。
こういう時期に遭遇して改めて視野を広げたということもあったんですが。
この東欧革命その他の動きによって、ソビエト崩壊にまでいってしまったということを、僕らは同時代の一員として、いまここにいる自分として、日本にいる自分として、見つめなおす必要があるだろう。
つまり、アメリカ一極支配と言えるような世界情勢が作られて、その中で日本の財界も不況、低成長という流れの中で何とか一般消費税を引き上げる必要もそれなりにあるという枠組みに入って、国のかたちを根本的に都合のいい状態に変えようと思い出す。そしてやっぱり憲法変えよう、ということになっているということを僕らはしっかり押さえなおして、それを許さない、つまり力を持っている人たちの都合のいい方向に今動かされようとしているのだということを、私としては強調しておきたい。
そのことの意味は、自分たちの身の回りの状況との関係でどういうことだろうか、労働の場面、教育の場面、福祉の場面、いろいろあるでしょうが、自分たちで検証していっていただきたい。
基本的にはそういった経済的野望、これが政治的思考を通じ、さらに本来的な国民の権利、利益を守るための国の基本法である憲法そのものをひっくり返そうとしている。端的な例を挙げます。主権者国民の代表、全国民を代表する選挙された議員で組織される国会を、現在の憲法は最高機関と言っています。最高機関国会、そんなもの削除、国会は内閣に協力する機関としよう。
現行憲法98条には、天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、全ての公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負うと、書いてあるが、この憲法擁護尊重義務、これ削除。こんなものいらん。
これを削除したうえで、前文で「国防の義務を全国民は負う」となっている。
このねらいは見え見えだと私は思いますが、今の日本国憲法は古すぎる、国際貢献できない、こういう言い方で多くの国民を従順な国民に育てるべく。
プライバシー重要やないか、こんな古い日本国憲法、プライバシー書いてないじゃないかという。当たり前だ、プライバシー書いてなくても裁判でも学説でも、これは当然憲法上の権利だというふうにもうすでに確立しています。
ついでに言っておきますと、このプライバシーの権利というのをしっかり位置付けて、裁判でも学説でも最先端をいってるのはアメリカですが、アメリカの憲法は60年どころじゃない。200年を越える。そのアメリカ合衆国憲法のもとで、プライバシー権なんてこと書いてない。それが最高裁の判例を含めてアメリカでプライバシーの権利が最もしっかり定着している。
当然日本国憲法でも、学説関係がそのことを認めている。にも関わらずなぜそのことを言うか。それは財力や権力を持った人間のプライバシーをもっと尊重させる必要があるという声があるんです。それを国民に、プライバシー重要やろ、だから憲法変えなあかんやろ、というようなかたちで使う。
日本国憲法は97、98、99条で最高法規といってることを決めている章の最初ですが、97条ですが。この憲法の人権は、という言葉を主語にして、全世界のというか、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、という極めて広い視野をもった、ものすごい時間の流れ空間の広がりをしっかり押さえた上でこう言っているんですね。現在及び将来の国民に信託されたものである。つまり、信じて頼むぞ、今これを作った自分たちは死んじゃうけど、現在及び将来の主権者、国民がこの憲法を実現していく、あるいは実現させていく、役人たちに守らせていく。そういう主権者として動いてくれるよな、と信頼し託すものである、とこう書いてあるんです。
ここのところを我々は押さえて動いていくべきである、こう思います。
私自身に2003年生まれの孫がいます。そういう孫達に、この憲法を当然に残し、今よりも実現されるかたちの国あるいは社会、そして将来の人類全体のなかでこの九条を持つ日本国憲法の、20世紀半ばの世界史的、人類史的到達点を第二次世界大戦という犠牲を経た上で、しかししっかり踏まえて作ったあのときの人々の苦労いっぱいあると思うし、その背後にいっぱい苦労して死んでいった人たちを踏まえて、日本国憲法が今ある。
それが今、大変な危機に瀕している。こういう認識をもって動きたい。
今日こうやって来ていただいた皆様に連帯の気持ちと、敬意を表してお話を閉めさせていただきます。
ご静聴ありがとうございました。
司会者(中谷)
吉田先生ありがとうございました。今から質疑に入らせていただきます。それではどなたからでもどうぞ。
質問者1
最近、新聞とかテレビとかで集団的自衛権ということをさかんに言ってますね。集団的自衛権と憲法9条の関係はどういうふうに考えたらいいんでしょうか。
質問者2
9条の第項ですね。2条によって自衛隊を合法化するという理屈を40年ほど前に大学で聞いたことがありますが、何で2項目がそうなるんですか。
質問者3
浄土真宗の住職です。憲法改正、改悪ですけれども。改悪しょうと思ったら、国会で3分の2の議席を占めなければいけない。今まで考えられなかったような事ですが、改憲勢力が非常に大きくなったものですから、現実的に可能性が出てくるわけですが、自民党が改正しようという案と、民主党はどういう考えなのか。それと宗教者からみて非常に危険性のある公明党は憲法に対してどういう考えを持っているのか。このへんの特徴を教えていただきたいと思います。
質問者4
今回私も朝日新聞を見て来たんですが、大阪の宗教者の方々が主催されているということで、非常に重大な意義があると思いますし、呼びかけ人のそれぞれの役職を見せていただきますと、いろいろな立場の宗教者が入っておられる。
宗教者の方々は若人からご老人まで、人生の重大な時期に例えば結婚式とか、それからお葬式とか、もちろん伝道、布教その他のことでも人生の重大な節目節目で、国民に関わっておられる。こういう方々が本当にどの宗教においても、「汝殺すなかれ」という基本的なところを押さえて、宗教に顕れた重大性を本当に各派のそれぞれの教団に何百万という方々がそれぞれの宗教にあるわけですから、そういうところを動かせれば、日頃接しておられる信徒の方々にそれぞれ働きかける、ということで本当に大きな力になると思っています。
いろいろな9条の会ができておりますけれども、宗教者の9条の会には非常に大きな意義を感じます。ともに多くの人々に9条の重大性を語りかけて、しっかりと憲法改悪を許さない勢力を増やしていきたいと祈っております。本当にありがとうございました。
吉田氏
一番目。昨今言われる集団的自衛権とは何なのか。特に日本国憲法の9条との関係を専門的な立場からですね。
さっき話したこと、つまり原爆が落とされた45年8月の2ヶ月前の段階で、国連憲章の原型はできていて、その中に自衛の権利を国連に加盟する国々はそれぞれ持つ。self defence 自分を守るということですね。自分を守る権利をそれぞれの国が持つということを書いていました。それは自分が攻められるといったときに、それに抵抗するってことは一般の人々の正当防衛のようなことやっぱりあるじゃないか。国の中で個々人がそういう権利をもつと同じように、国際社会でも国と国一つ一つがそういう権利を持つはずだ、ということが書かれていたんです。
ですから先ほど申し上げたように、自衛するために自分が軍備を持つといったときに、相手が原爆持つと言ったら自分も原爆持つ。向こうが使ったらこっちも使うって言う論法やったらえらいことになる、ということを人類はその後わかるわけです。ところが、原爆を使う前にそれができたということ、さらにそのあとアメリカは中南米、後にキューバとか大問題になるんですが。中南米の国々、つまりアメリカの喉もと、お膝元ですね、ここをきっちりと同盟関係にしておきたいと考えた。
それで個別の国が self defence 個別的自衛権を持つと書いただけでは足りないぞ、集団的な自衛権を持つ、その可能性もあるように変えておこうと、10月段階ではそのように変えられてしまったという経緯があります。
集団的自衛というのは、軍事同盟を結んでおいて、それ以外の国が来て、例えばAとBとCという国が仲間の国として、Aという国がXという国から攻められたら、BもCもXに反撃するという権利がある、あるいはそれを守るという権利がある、自分が攻められているわけではなくても、仲間の国が攻められたら、反撃する。こういうことは、国連憲章51条に入ってしまっていまして、現在の自民党は日米安保条約、安全保障という言い方ですが、軍事同盟条約を結んでいますね。そして米軍の指揮下に入るようなかたちで、99年の周辺事態法、周辺ってどこを言うのか、よく分からない、とにかくアメリカとの関係でどこまでかはっきりできていない。石油、日本経済はなお石油で動いていますから、
軍事同盟を前提とした国際法上なお一応残っている概念だけど、それが出てきた背景ってことでいうと、全般的な国民利益ということを考えた上でのことではない、アメリカの勝手な発想というものに乗っかって、そういう軍事同盟に入っているという従属的な形なのです。
2番目。9条2項のどこをどう読むことで自衛隊が合憲ということになるのかということ。
2項の問題は、前項の目的、つまり1項の目的を達するために陸海空軍その他の戦力はこれを持たない、こう書いてあります。これについて、自衛隊はどこから見ても戦力ではないかという議論がでますね。憲法学者はこのように解釈しています。
しかし、こう読めば可能だという議論があるんです。それは、1項の目的というのは何だということ。通説は、正義と秩序を基調とする国際平和を忠実に希求する。本当に平和を追求するという、前文に書いてある平和的生存権を全世界の国民が持っていて、日本国民はそういうものだということを確認したのだから、平和追及というのが1項の目的だ、というものです。従ってあらゆる軍隊を保持はできないから、自衛隊は違憲だと、学者は当然文言をそのように理解しているんです。
ですが、このように読む。つまり、1項の後の方に、戦争と武力の放棄ということは「国際紛争を解決する手段として」は放棄する。国際紛争を解決する手段でなければ放棄していない。こう読むんですね。
どういうことかと言いますと、紛争を解決する手段というのは、主張がぶつかったときに、自分の主張を通すためには放棄するっていうことだと。自分の主張を解決する、自分の主張を通すために相手をぶん殴る、こういうことはしないと読む事が十分考えられる、ということは、相手をやっつける、攻めていくという方法としては放棄する。かなりこじつけた考え方ですが。だから攻めてこられたときの手段としては保持できるんだと、こういう説明をするということです。
学会では九割方そんなことは成立していない。むりやりこじつけの解釈であると判断している。最終的には主権者・国民がこの憲法をどう読むかにかかっている。先の選挙では、結局圧倒的な国民が、自衛隊は憲法違反じゃないだろうなという政党を支持してしまっている。ということですね。
8条の意味を日本国民はよく知らないままきている、こういうふうにも言える。というのが、2番目への回答です。
最後ですが、憲法96条というのがあります。弟9章といって、96条1か条でこの憲法の改正の手続きを決めています。
憲法96条を読んでみると、国会では法律を作るにしても、条約、予算などを議決するにしても衆議院優越の制度があるんですが、そういうものを排除して、衆議院と参議院を全く対等にした上で、それぞれ過半数で議決していくというのが基本枠組みなんですが、それを全部3分の2という特別多数に引き上げているんですね。衆参両方がそれぞれ3分の2を越える多数で、こういう形で変えようという案を一致させる形でまとまったら、国民に提案していい。
そして国民の過半数が賛成したら憲法の個別条文の内容は変えることができる。そういう規定です。
3分の2ということで、今実は2003年11月総選挙の結果、自民と民主で完全に8割を超えている。つまり3分の2を完全にクリアできる衆議院の状況が作られ、去年の夏の参議院選挙結果も完全に3分の2をクリアするような政党状況ができていることはご承知のとおりです。
ですから自民党は、2003年の選挙から4年間ある任期のうちに、2007年までに腰を落ち着けて、あらゆることを考えて失敗しないように手を打って、憲法を変えようという体制をいま組みつつある。そのために今年のこの通常国会の2月か3月の段階で国会法の改正案を出し、そこで今言った発議ができるように手続きを準備させることと、合わせて公職選挙法とは全く別なんですよね。議員選挙ではないわけです。そのために国民投票法、つまり憲法改正の国民投票法案を作って、今もうだせる段階になっているとも言われている。
ご質問は、本当に危機的状況だとは思うけど、それでも与党の中の公明党、これがどういう立場なのか、さらに野党の民主党はいったいどう自民党と違うのか、そこを説明しろということですね。
公明党はご承知のように、宗教者、創価学会、文字通り人々の心、さらに身体、これを守るということになると、人権擁護を謳い文句に結成されている政党、あるいはそういう勢力です。さらに平和、この問題も宗教者の立場で追及する立場です。しかし、経済的政治的に自分達が現に与党に入っている。与党にはいっていることの意味というものを、非常に強く大事にしている。執行部というのがあるわけですね。あえて言うと創価学会だけではなくて、公明党という政党、政治結社としての判断もあって、できるだけ自民党をこっちへ引きずりつつも、引きずられる。揺れている。つまり下からの突き上げ今いっぱいあると聞きますが、本当に悪いようにならないように自民党の傍にいて自民党がめちゃくちゃなことにならないように、やるのが俺達の仕事ではないか、というような形で態度を不鮮明にしたままずるずる行ってるというのが現状なんだろう。そういう意味で言うともっと公明党の方々、創価学会の方々に、本来的に公明党の果たすべき役割は改憲ではないはずだと、訴えていく必要があると思うし、そうだとうなずいていただく可能性も実はいっぱいあるのではないか。公明党に対して今言えることです。
もう一つの民主党ですが、民主党はご承知かもしれませんが、日本が低成長に入った段階、つまり90年代、80年代後半、89年それ以降の流れの中で、日本の低成長の流れの中での政府、財界は、なんとか保守二大政党、こうしてしまいたい。89年に社会党がぐっとでてきた。冗談じゃない、これはつぶせということで、つぶしにかかった。これは功を奏した。ともかく保守二大政党を作るためには、社会党をつぶすということと、もう一つの保守政党を作る必要があるということで、一番汚い可能性があるといわれていた自民党の中の保守ラインの小沢氏を、改革の旗手というかたちで外へ飛び出させて、そのもとで新たな結集をはかるということをやりだしたわけです。
ご承知のように新進党構想、新進党構想の中には当然公明党も入る。
また社会党バラバラにして、右的なものはその中に吸収する、というこういう構想だったんですね。これがしかしうまくいかなかった。94年ですけど、とにかくやったんだけどしっかり定着するかたちで思うとおりうごかない。結局分裂する。で、改めて民主党というかたちにして、それが今功を奏してきている。ですが問題は同じ保守ということでいうと、民主党として今国会でガタガタやってますが、自分達の存在を政策面で当然打ち出せないわけです。それだったら自民党と同じだと言われるわけです。そう言われないためにどうするかということで、かなり悩んでます。
それで基本的には、9条改憲必要、国際貢献必要というところで、自民党は基本的にはアメリカ、日米安保条約というのが大事だ。アメリカの要請を受けたら動けるようにということを主要に出している。
それに対して、いやいやアメリカとだけじゃなくて、もっと広く国際ということで、民主党は国連の要請があったら行けるようにというふうに、アメリカだけじゃなくって、という言い方で自衛軍のありかたを民主党は出していますが、最終的にどういう9条改正案にするかっていうところでは、同じ穴の中の狢(むじな)的に、こっちは飲むからそっちはこうしてくれみたいなかたちで、最終的には当然おなじ問題が、当然バックに両方とも日本経団連というような枠組みがすでに出来上がっている中ではしかるべき人が間に立って、調整させてというようになっていく可能性が高い。
一応しかしそう言って、自民党はアメリカ、民主党は国際協調を国連憲章でとさかんに言っているというのが今の民主党のようですが、これはあまり当てにならない。最終的には日米安保条約の線でいいかなあということになる可能性が高い。と思っています。
司会者(中谷)
ありがとうございました。閉会のご挨拶をお願いしたいと思います。西田亨心先生。
西田亨心氏
西田でございます。本日はお寒い中をそれぞれお運びいただいて、この会が有意義に閉じられることを喜んでおります。
代表してお礼の言葉を捧げたいと思います。
今日の講師の吉田先生、ありがとうございました。
私の60年前の大学を思い出しました。ありがとうございました。
今後ともひとつ我々のためにご指導をよろしくお願いいたしたいと存じます。どうもありがとうございました。それでは、皆様方お寒うございます。お静かにお帰りをいただきますようにお願いをいたしまして、お礼の言葉に変えさせていただきます。
ありがとうございました。
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